Lyu:Lyuのファン=CIVILIANのファンというわけではないんだよ

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 ひたすらに「あなた」との二人きりの世界を「僕」の独白体で綴っていく、そんな曲につけられたタイトルが「メシア(救世主)」。マジでエモーショナル。MVに出てくる登場人物に花子とか太郎とか、きまった名前がつけられてないところもグッときてしまった。女の子の着てるセーラー服がドンキのコスプレコーナーに陳列されてるようなあからさまな安物っていうのも妙にリアル。

 Lyu:Lyuはニコニコ上で「文学少年の憂鬱」「ハロ/ハワユ」などの楽曲を投稿していたナノウ(ほえほえP)ことコヤマヒデカズ(Vo&Gt)、そして彼と同じ専門学校出身の純市(Ba)有田清幸(Dr)のスリーピースバンドである。名前の方向性は著しくばらけているが、音楽性はきまって、いわゆる「ギターロック」一本を貫いていた。

 AメロやBメロにアルペジオを含ませることもあるけれど、サビはきまって音が綺麗に滲むような激しいストロークをかき鳴らす。一言で表すなら「格好いいが良くも悪くも無難」。しかしながら、彼らを彼らたらしめるのは、何よりもコヤマの詞と歌声が色濃く出ているからであろう。

じわじわと嬲るような静かな鬱々しさ

京王線 始発駅 人の群れ 
財布を落とした 女の子が泣いてる 
すぐに電車が滑り込んできて 
席にあぶれた人は舌打ち 
急に全てがどうでも良くなる 
僕は冷たい人間(ひと)の仲間入り

―文学少年の憂鬱

 先ほどちらっと名前を出したボカロ時代の代表曲、文学少年の憂鬱。周囲の鬱屈とした描写を具体的に表しながら、京王線の始発駅というワードでリアリティというか、説得力を持たせている。マイヘアの真赤でいう「ブラジャーのホック」的な役割みたいな感じか。

 コヤマの詞の特徴は、画面の奥で歌詞を読む人間と直接目を合わせて語りかけてくる、正真正銘心の奥底からぶつけてくる語り口調にある。

 過ぎた車の静けさが僕を一人にさせるような無闇やたらに抽象的だったり比喩表現を多用することなく、「踊ってない夜を知らない」だとか「オワラセナイトォ!ォオン!」みたいな強烈なパワーワードの力に頼ることもなく、Aメロからサビまで一定のリズムを保ちながら、しっかりと目を逸らさずに面と向き合う人間性マシマシの詞。

 そこに息を漏らすような、叫ぶような、怒りや悲しみを混ぜたコヤマの歌声は本当にずるいなあと思う。殻なんか窮屈でいらねえと破り捨てて血生臭い肉がむき出しになってる感情的な歌声。誰にも真似のできない、それこそ唯一無二。

 誰の命も無駄ではなく 全て意味があると君は言う
あなたが死んだらほらきっと 誰かが悲しむと君は言う
テーブル越しに向かい合って 冷めたコーヒーを飲んだ後
私はあなたに言ったっけ 「冗談だから気にしないで」
今も私は冷たい手を 上手く暖められないまま
もうすぐ頭上を彗星が 尾を引いて飛ぶと聞いたのに
街の皆は誰も彼も 外に出て家は蛻の殻
誰かを嫌った代償で 自分も嫌いになっただけ

―彗星 

 

 でもやっぱ詞は痛い。なんというか詞はいいんだけどどことなく痛い。高校一年生の男子が自室の片隅に放置してるアリアプロのホコリの臭い。いつまで丸めたティッシュをそのままにしてるんだ。

 Lyu:Lyuの詞にある程度目を通すと、とにかく全体の厚みがすごいというのが第一印象。Syrup16gの五十嵐の詞なんかは短い文節のひとつひとつがずっしりと重い。けれどコヤマはひとつひとつ積み重ねながら、最後にはかすかに救いを見せるような言葉で聴き手をふっと楽な気持ちにさせる。

 同系列の音楽性でいうとamazarashiなんかがしっくりくるんじゃないだろうか。歌声も詞も、AメロBメロで弱めのメロディからサビで強いメロディを持って来る展開も。ただ大きく違ってくるのは、いわゆる「世界観」なのではないかなあと強く感じる。

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 秋田ひろむの詞は全体を通して一貫性があって、楽曲ごとに確かな世界観がある。「光、再考」「ラブソング」「夏を待っていました」だとか、どれをとっても言いたいことはひしひしと伝わってくる(なかには『命にふさわしい』のような一見よく分からないものもあるけど)。はっきり言って文学性では彼のほうが上だ。

 いっぽうのコヤマの詞は全体を通すとどこか抽象的で、テーマ性がふわっとしたようなものが多い。聞こえは悪いかもしれないが、裏を返せばそれが良さなのではないかなあと思う。amazarashiが一曲を通してその哀愁に浸るとすれば、Lyu:Lyuはひとつひとつの文節に哀愁を感じるようなもの、というニュアンスだろうか。

 ボカロ出身という立ち位置でデビューしボカロP時代からのファンを引きつれ、徐々にファンを増やし固めていったLyu:Lyu。のちにCIVILIANと改名し見事ソニーからメジャーデビューを果たした。

かすんでいくLyu:Lyuの面影

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 「これまふまふが楽曲提供したんだってよ」って言ったら満場一致で納得するでしょ。いやカッコいい。めちゃめちゃバンドサウンドはカッコよくなってるけどさ、何か違うじゃん。なんか。「カッコいい」じゃなくて「格好いい」だったんだよ。

 ソニーに移籍してからは見事アニメやゲームといったタイアップを勝ち取ったCIVILIANであったが、だんだんとLyu:Lyuの頃の雰囲気がぼやけていく。

あの日 奪われた全てを
取り戻せと 声が響く
孤独を受け入れた代償で
命の灯は 赤く燃える
それは焼け付くような赫色

―赫色 -akairo- 

 何度でも ほら何度でも
闇へ手を伸ばせ 何を掴んでも
いつか本当の 命の使い道
その手に掴むまで さあ
何度でも 立ち上がれそのまま

―何度でも

  まるで何も伝わらない。それこそ「有象無象」という感じ。もちろんタイアップだから制作側からアレコレ指図されるのも当たり前だろうし、3rdシングルの「顔」のような、以前のコヤマ節を感じる曲もある。けれどLyu:Lyuの頃の、愛憎や哀愁や救いがごちゃ混ぜになった空気がどんどん霞んで、分かりやすく「怒り」と「救い」の二極化が鮮明になっているような気がしてならないのだ。

 これから東京カランコロンのようにメジャーからまたインディーズへ戻るのか、メジャーのままタイアップを着々と掴んで進んでいくのか、はたまた最悪の場合レミオロメンのようにメジャーの道の最中で意気消沈するか、その選択は彼ら次第であるし、今後の動向が気になるところではある。しかしながら現時点ではLyu:Lyuからのファンは「こんなの違う」と声を挙げることもしばしばあるのも現実だ。

「CIVILIAN」のファンは、きっと更に増えていく

 ある一人のファンは言った。

 『変わりたい、もっと進んでいきたいって言うアーティストの足首掴んで、「違う違う! 昔がよかったの!!こんなの私の思う〇〇じゃない!!」ってわめき散らす。 そういう悪意にアーティストがつぶされていくっていうな』

 確かにその通りだ。全く以ってその通り。昔の方がよかったっていうのも古参からのファンのエゴに過ぎないし、今更Youtubeのコメント欄で喚き散らしても何も生み出さない。当の本人たちも大衆を広く視野に入れ、メロディや歌詞もコンパクトにして「ユーザーフレンドリー」にしていきたいと今の音楽性にも前向きだ。現にCIVILIANという英単語には「一般人の~」という意味が込められている。

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 きっと彼らのファンが徐々に増えていくうちに米津玄師みたく「この人ボカロPだったんだ!?」と新参のファンに驚かれるだろうし、コヤマのツイートのリプライ欄は見るに耐えないものになるだろう。あくまでソニーは彼らの意図を汲み取って巧みに売り出しているに過ぎない。

 しかし「Lyu:Lyu」に残ると決めたファンは、その大衆になることを拒んだのである。